佐藤 保(さとう たもつ、1928年 - )は、日本政治運動家社会運動家

経歴 編集

大分県に生まれる[1]。1945年福岡県中学修猷館を第4学年卒業し[2]工業専門学校を経て[3]、1953年九州大学経済学部を卒業[1]。1958年九州大学大学院経済学研究科を修了[4]。大学院では向坂逸郎教授のもとでマルクス経済学を研究し、向坂が中心となって発足した社会主義協会九州支部(後に支局)の事務も行った[3]

大学院在学中の1957年から総評本部に勤務し、1965年社会主義協会全国オルグとなり、1967年同事務局長を経て[1]、1998年同代表に就任する[5]

KGBとの繋がり 編集

1979年にソ連から米国亡命した、元KGBスパイであるスタニスラフ・レフチェンコの証言により、佐藤は「アトス(ATOS)」というコードネームを持つKGBのエージェント(協力者)であったとされた[6]

著書 編集

  • 『平和革命と労働者階級』(社会主義協会、1974年)
  • 『社会主義への道と統一戦線』(社会主義協会出版局、1980年)

脚注 編集

  1. ^ a b c 佐藤保『社会主義への道と統一戦線』(社会主義協会出版局、1980年)
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員61頁
  3. ^ a b 佐藤保「思い出すことども 私と社会主義協会(4) 協会とのかかわりの始まり」 社会主義第593号(社会主義協会、2011年)54-61頁
  4. ^ 大内兵衛、向坂逸郎監修『大系国家独占資本主義 7 国家独占資本主義と労働組合運動』(河出書房新社、1971年)執筆者紹介
  5. ^ 佐藤保「道 学習活動をつよめよう」 社会主義第418号(社会主義協会、1998年)5-9頁
  6. ^ 週刊文春編集部編『レフチェンコは証言する』(文藝春秋、1983年)68-69頁