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内山 吉太(うちやま きちた、1862年4月13日(文久2年3月15日 [1]) - 1935年昭和10年)12月27日[2])は、日本の漁業家、政治家衆議院議員。旧姓・金田[3]

経歴編集

越後国北蒲原郡西浜村で里正・金田家に生まれ、慶応元年12月1866年)同郷の内山タケの養子となる[1][3]。漢学を修めた[2]1877年函館に移り北海道樺太遠洋漁業を経営[3]1895年、サガレン(樺太)漁業組合総代に選出された[3]

また、北海道機械網 (株) 監査役、東洋捕鯨 (株) 取締役、函館商業倶楽部会頭などを務めた[2]

立憲政友会の結党に参画し、同函館支部創立委員、同支部幹事となる[3]1902年8月、第7回衆議院議員総選挙の北海道庁函館区において平出喜三郎と戦い落選[3]1903年3月の第8回総選挙では再び平出喜三郎と議席を争い当選した[2][3]。その後、第9回第11回総選挙でも当選し衆議院議員を三期務めたが[2]1914年3月26日、刑事被告事件の上告が大審院で棄却され任期途中で議員を辞職した[3][4][5]

脚注編集

  1. ^ a b 『人事興信録』第4版、う30頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』94頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『北海道人名辞書』245-246頁。
  4. ^ 東京朝日新聞』1914年3月28日、朝刊2頁。
  5. ^ 『官報』第496号、大正3年3月27日。

参考文献編集

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 金子郡平・高野隆之編『北海道人名辞書』北海道人名辞書編纂事務所、1914年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年。