内藤忠郷

戦国時代の武将。松平氏・徳川氏の家臣。子に内藤忠村

内藤 忠郷(ないとう たださと)は、戦国時代武将松平氏徳川氏の家臣。

 
内藤忠郷
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永正8年(1511年
死没 天正8年4月16日1580年6月8日
別名 甚蔵、甚三、甚五左衛門(通称)、義教
戒名 善教
主君 松平信孝広忠徳川家康
氏族 内藤氏
父母 内藤義清
兄弟 島田景信室、清長忠郷酒井重忠室、石川数正
忠村正成、演誉、忠政
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生涯編集

最初、三木松平家松平信孝に仕えたが、天文12年(1543年)信孝が宗家から離反すると、阿部定吉を頼って宗家の松平広忠に仕え、高落・野場の所領安堵を受けた。松平元康(徳川家康)の代には羽角に加増される。永禄元年(1558年)元康の大高城兵糧入れの従軍。以後も各地で武功を立てた。元亀3年(1572年三方ヶ原の戦いでは、植村正勝、富永孫太夫らと共に家康の逃走を警護して浜松城へ退いた [1]

天正元年(1573年松平信康15歳の時、武道の物語を言上するため植村正勝、富永孫太夫らとともに岡崎に伺候した[1]

天正3年(1575年長篠の戦いでは合戦前に内藤家長と共に敵の斥候を退け、織田信長に強弓を称賛されている。[要出典]

参考文献編集

  • 寛政重修諸家譜」巻第564
  • 『通俗日本全史第9巻』(早稲田大学編輯部 、1912年、122p)
  • 『新訂寛政重修諸家譜 5』(続群書類従完成会 、1964年、186p)
  1. ^ a b 続群書類従完成会 1964, p. 186.