内藤 正国(ないとう まさくに)は、江戸時代中期から後期にかけての大名信濃岩村田藩の第5代藩主。岩村田藩内藤家6代。天保の改革を行なった老中水野忠邦の叔父である。

 
内藤正国
時代 江戸時代中期から後期
生誕 安永2年(1773年
※安永4年(1775年11月8日とも
死没 享和2年12月28日1803年1月21日
改名 水野忠令(初名)→内藤正国
別名 安次郎(幼名)
官位 従五位下美濃
信濃岩村田藩
氏族 水野氏内藤氏
父母 父:水野忠鼎、養父:内藤正興
兄弟 水野忠光内藤正国、水野忠方、水野忠寛
米倉昌俊内藤政環
正室:内藤正興の娘
養嗣子:正縄
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安永2年(1773年)、肥前唐津藩の第2代藩主・水野忠鼎の四男として生まれる。はじめ水野忠令(ただのり)と名乗った。のち、岩村田藩の第4代藩主・内藤正興の婿養子となって内藤正国と名乗り、寛政4年(1792年)10月17日に正興が死去した後、家督を継いだ。

享和2年(1802年)12月28日に死去した。享年30。男子がなかったため、甥で養嗣子の正縄に跡を継がせた。

系譜

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父母

正室

養子