前田利見
日本の江戸時代後期の大名。上野七日市藩7代藩主前田利尚次男で、七日市藩8代藩主。従五位下右近将監・大和守
前田 利見(まえだ としあきら)は、上野七日市藩の第8代藩主。七日市藩前田家8代。諱は利晃とも記される。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 明和元年9月14日(1764年10月9日) |
死没 | 天明6年9月17日(1786年10月8日) |
改名 | 豊平(幼名)、利見 |
別名 | 右近(通称) |
戒名 | 覚峰院殿了円道照大居士 |
墓所 |
群馬県富岡市の長学寺(前田家墓地) 東京都文京区本駒込の吉祥寺 |
官位 | 従五位下、右近将監、大和守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上野七日市藩主 |
氏族 | 加賀前田氏 |
父母 |
父:前田利尚 母:板倉勝澄の娘(側室の子とも) |
兄弟 | 又五郎、利見 |
子 | 養子:利以 |
生涯
編集明和元年(1764年)9月14日、第7代藩主・前田利尚の次男として生まれる。天明2年(1782年)5月9日、父の隠居により家督を継ぐ。天明3年(1783年)には天明の大飢饉で大被害を受け、本家の加賀藩からの財政援助や商人から借財して再建を図った。12月18日に従五位下・右近将監に叙位・任官する。天明6年(1786年)2月22日に大和守に遷任し、駿府加番に任じられたが、生来病弱だったために父に先立って9月17日に死去した。享年23。
系譜
編集父母
養子