加藤 政一(かとう せいいち、1860年万延元年4月[1][2]) - 1893年明治26年)7月19日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

編集

尾張国海東郡(のち愛知県海部郡南陽村→南陽町、現・名古屋市港区)に生まれる[1]漢学を学び、農業を営む[2]

1892年2月の第2回衆議院議員総選挙において愛知6区から独立倶楽部所属で立候補して当選する[3]。衆議院議員を1期務め、同年9月に衆議院議員を辞職した。1893年に死去した。

脚注

編集
  1. ^ a b 衆議院 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年、119頁。NDLJP:1278238 
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』161頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』9頁。

参考文献

編集
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。