勝 元良(かつ もとよし)は、江戸時代後期の旗本物部氏族勝家の『寛政重修諸家譜』編纂時点での当主。

 
勝 元良
時代 江戸時代後期
生誕 明和4年(1767年[1]
死没 文化5年12月5日1809年1月20日[2]
改名 :元良
別名 通称:三郎、甚三郎
幕府 江戸幕府
父母 父:青木長国、母:勝命雅の次女
養父:勝曹淓
兄弟 満真阿部正親室、大岡義方元良
勝曹淓の娘
信(勝小吉の妻)、養子:勝小吉
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養父は勝曹淓。実父は青木長国勝海舟の母方祖父で、幕末大奥御年寄である瀧山の叔父でもある。

生涯 編集

青木正寛を家祖とする武田氏大井氏系青木家の当主で、後に大番組頭を勤めた青木長国(左京)と、鉄砲玉薬同心御家人から旗本および広敷番頭となった勝命雅の次女との三男とされる。実兄に青木満真(甚平)と大岡義方がいる。

天明3年(1783年)、数え17歳の時に母方叔父である勝曹淓(安五郎)の婿養子として勝家を相続する。ちなみに、17歳は末期養子を迎えることができる下限であり、次兄の大岡義方は寛政6年(1794年5月15日の初御目見え時に27歳と届けている。

寛政4年(1792年)9月に徳川家斉へ初御目見する。その後、的を射て時服を賜る。

末期養子として男谷家より勝小吉が勝家を相続する。

脚注 編集

  1. ^ 『寛政重修諸家譜』に記載の家督相続時の届出年からの逆算
  2. ^ 勝家の菩提寺・清隆寺の過去帳による(勝部真長新装版 勝海舟 下

参考文献 編集

  • 『新訂寛政重修諸家譜 第3』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、1964年)
    • 寛政重修諸家譜 巻百五十二
  • 『新訂寛政重修諸家譜 第22』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、1964年)
    • 寛政重修諸家譜 巻千五百一