千種任子
千種 任子(ちぐさ ことこ、安政2年6月6日(1855年7月19日) - 1944年(昭和19年)2月1日)は明治天皇の権典侍[1]。
生涯
編集千種有任の長女。母は四辻正子(四辻公積の娘)。1881年(明治14年)に滋宮韶子内親王、1883年(明治16年)に増宮章子内親王(大正天皇の異母妹)をそれぞれ儲けるが、2人共脳膜炎で夭折した[2]。後に皇后宮典侍に任じられた[3]。
出典
編集- ^ “権典侍千種任子忌服ノ件”. 国立公文書館. 2021年7月25日閲覧。
- ^ 深瀬泰旦「明治16年と同21年の上申書からみた明治天皇皇子女夭折問題」『日本医史学雑誌』第61巻第2号、日本医史学会、2015年6月20日、163-178頁。
- ^ “【孤高の国母】(67)そのとき帝都に雷鳴が… 美しき皇太后の崩御 - 産経ニュース”. 産業経済新聞社. 2021年7月25日閲覧。