南茂安村

日本の佐賀県三養基郡にあった村

南茂安村(みなみしげやすむら[1][2])は、佐賀県三養基郡にあった。現在の三養基郡みやき町の一部にあたる。

みなみしげやすむら
南茂安村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
南茂安村三川村三根村
現在の自治体 みやき町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 佐賀県
三養基郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 5,166
国勢調査、1950年)
隣接自治体 北茂安村上峰村、三川村
福岡県三潴郡筑邦町大善寺町三潴村城島町
南茂安村役場
所在地 佐賀県三養基郡南茂安村大字天建寺字南島
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地理 編集

筑後川中流の沿岸に位置していた[2]

歴史 編集

  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、三根郡西島村、坂口村、天建寺村が合併して村制施行し、南茂安村が発足[1][2]。旧村名を継承した西島、坂口、天建寺の3大字を編成[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により三養基郡に所属[2]
  • 1938年(昭和13年)地内を大きく蛇行していた筑後川の直流放水路が完成[2]。その結果、村域の一部が筑後川に分断され渡しにより移動した[2]
  • 1950年(昭和25年)渡し船の転覆事故が発生し小学生6名が死亡[2]。これを契機に天建寺橋が架橋された[2]
  • 1955年(昭和30年)4月1日、三養基郡三川村と合併し、三根村を新設して廃止された[1][2]。合併後、三根村大字西島・坂口・天建寺となる[3]

地名の由来 編集

筑後川の千栗土居(ちりくどい)の構築に功績のあった佐賀藩士・成富兵庫茂安の名にちなむ[2]

産業 編集

  • 農業

脚注 編集

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』762頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『角川日本地名大辞典 41 佐賀県』67 1頁。
  3. ^ 「三根〈三根町〉」『角川日本地名大辞典 41 佐賀県』674頁。

参考文献 編集

関連項目 編集