南部通信

江戸時代前期から中期の大名。陸奥八戸藩3代藩主。従五位下・遠江守

南部 通信(なんぶ みちのぶ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名陸奥国八戸藩の第3代藩主官位従五位下遠江守

 
南部通信
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文13年2月11日1673年3月29日
死没 享保元年8月24日1716年10月9日
改名 内匠(幼名)、通信
墓所 青森県八戸市南宗寺
官位 従五位下遠江守
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
陸奥八戸藩
氏族 南部氏
父母 南部重信栃内金右衛門の娘・澤
養父南部直政
兄弟 七戸秀信七戸定信行信、辰之助、七戸英信政信、式姫、七姫、勝信、萬之助、千之助、通信七戸愛信坪内定信七戸舜信、慶姫、恵岐姫ら
正室前田利明の娘・
側室桂七郎大夫の妹
広信
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略歴編集

盛岡藩の第3代藩主・南部重信の子として誕生。生母は栃内金右衛門の娘・澤(浄生院)。幼名は内匠。

元禄12年(1699年)、先代藩主で従兄にあたる南部直政末期養子となり、同年5月に跡を継いだ。通信は有能な人物で、文武に優れ、馬術を得意とし、さらに茶道和歌蹴鞠にも通じた豊かな教養人でもあった。

藩政においては、倹約令の制定、物価の統制、凶作対策や買占めの取り締まり、文武の奨励など様々な藩政改革に着手して、藩政の発展に貢献した。

享保元年(1716年)8月24日、44歳で死去し、跡を長男・広信が継いだ。墓所は青森県八戸市の南宗寺。

系譜編集

父母

正室

側室

子女