博愛丸
博愛丸(はくあいまる)とは、19世紀末から20世紀半ばにかけて運航された日本の船舶である。
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基本情報 | |
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経歴 | |
進水 | 1898年 |
竣工 | 1898年12月 |
その後 | 1945年6月18日戦没 |
要目 | |
総トン数 | 2,629 トン |
載貨重量 | 2,480 トン |
垂線間長 | 94.79 m |
型幅 | 11.88 m |
型深さ | 9.02 m |
喫水 | 6.15 m |
主機関 | 三連成レシプロ機関 1基 |
出力 |
3,078馬力(最大) 2,100馬力(計画) |
最大速力 | 15.42ノット |
航海速力 | 12.7ノット |
歴史編集
1898年(明治31年)12月にイギリスのロブニッツ造船所 (Lobnitz & Company) で竣工。なお同型船の弘済丸は1899年に竣工した。当初から日本赤十字社が管理する病院船として建造され、平時は2隻とも日本郵船の上海航路貨客船として使われた。
1900-1901年(明治33-34年)の義和団の乱では患者輸送船として使用され、1901年4月2日に陸海軍大臣より患者輸送船の指定が解除された[1]。1904-1905年(明治37-38年)の日露戦争のときには病院船として使用され、負傷兵を朝鮮の仁川赤十字病院に運んだ[2]。
1926年(大正15年)に林兼商店(後のマルハを経て現在はマルハニチロ)に売却され、北洋漁業の蟹工船に改造され、使用された。漁業の作業中に起きたリンチや過酷な労働により死者が出ており(博愛丸事件)、このことが小林多喜二のプロレタリア文学、『蟹工船』の元になっている。
その後の太平洋戦争で軍需品などを輸送中、1945年(昭和20年)6月18日、オホーツク海で米軍の潜水艦アポゴン (SS-308) の雷撃を受け沈没。39名が死亡した。
脚注編集
関連項目編集
参考文献編集
- 船舶技術協会『船の科学』1983年8月号 第36巻第8号
- 海人社『世界の艦船』1995年11月号 No.503
- 海人社『世界の艦船 別冊 日本郵船船舶100年史』1984年 ISBN 4-905551-20-X
- 日本郵船株式会社『七つの海で一世紀 日本郵船創業100周年記念船舶写真集』1985年