原田 高史(はらだ たかし、1932年7月21日 - 2016年12月23日[1])は、広島県[2]出身のプロ野球選手1957年の登録名は原田 稔也広島原爆の被爆者で最初にプロ野球選手となった人物である[3]

原田 高史
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県
生年月日 (1932-07-21) 1932年7月21日
没年月日 (2016-12-23) 2016年12月23日(84歳没)
身長
体重
167 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1954年
初出場 1954年
最終出場 1954年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 東洋工業
  • 広島県立広島工業高等学校

経歴 編集

1945年8月6日、13歳の時に皆実町で建物疎開作業に参加するため広島医学専門学校の校庭に集合し、建物の近くで友人達と寝そべりながら談笑していた時に被爆[4]。被爆した時に着ていた学生服は現在広島平和記念資料館に収められている。

その後、広島皆実高校から広島専売局を経て1954年広島カープへ入団[2]

1957年に退団し、その後は東洋工業で選手としてプレー[2]。後に監督へ就任した[2]

1997年からは母校の広島工業高校でコーチを務めた[2]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1954 広島 14 23 21 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 1 1 -- 0 6 0 .048 .091 .048 .139
通算:1年 14 23 21 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 1 1 -- 0 6 0 .048 .091 .048 .139

背番号 編集

  • 39 (1954年 - 1957年)

脚注 編集

  1. ^ OB NEWS Vol.74” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2017年7月). 2021年2月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、457ページ
  3. ^ 広島ホームテレビ 鯉のはなシアター 2018年8月6日放送
  4. ^ 広島平和記念資料館 平和データベース

関連項目 編集

外部リンク 編集