原 龍太(はら りゅうた、嘉永7年10月15日1854年12月4日) - 大正元年(1912年12月30日)は、土木工学者、工学博士吾妻橋御茶ノ水橋江戸橋などの橋梁の設計・施工、馬車鉄道の敷設工事、上下水道の付設など、各種の公共工事に携わる。従四位勲三等

原 龍太
生誕 1854年12月4日
死没 (1912-12-30) 1912年12月30日(58歳没)
出身校 東京大学
職業 土木工学者
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経歴

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福島藩医の息子原有燐の長男。大政奉還戊辰戦争によって一時、家を空けて三河国に住むこともあった。藩校や英学校で学んだ後、1873年(明治6年)慶應義塾に入り、のち開成所に転じ1877年(明治10年)東京大学理学部に入り理学士となる。

東京府に職を転じ、水道土木の事業に携わる。第一高等学校の講師等を務め1899年(明治32年)工学博士を授けられる。足尾銅山鉱毒予防に関する調査を行う。橋梁の建設に関して日本一と言われた。

栄典

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位階
勲章

脚注

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  1. ^ 『官報』第4989号「叙任及辞令」1900年2月21日。
  2. ^ 『官報』第6256号「叙任及辞令」1904年5月11日。
  3. ^ 『官報』第6450号「叙任及辞令」1904年12月28日。

参考文献

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