原竜太
原 竜太(はら りゅうた、1981年4月19日 - )は、東京都目黒区出身[1] の元サッカー選手。ポジションはFW。
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名前 | ||||||
カタカナ | ハラ リュウタ | |||||
ラテン文字 | HARA Ryuta | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1981年4月19日(43歳) | |||||
出身地 | 東京都目黒区 | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1997-1999 | 市立船橋高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000-2003 | 名古屋グランパスエイト | 51 | (9) | |||
2004 | 京都パープルサンガ | 12 | (0) | |||
2005-2006 | モンテディオ山形 | 63 | (17) | |||
2007-2009 | 湘南ベルマーレ | 81 | (17) | |||
通算 | 207 | (43) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
略歴
編集横浜フリューゲルスのジュニアユースから市立船橋高校に進み、1998年に高校総体、3年次の1999年に高校選手権に優勝した[2][3]。4得点をあげた1999年度高校選手権での活躍を評価されて名古屋グランパスエイトからオファーを受ける[4]。
名古屋では初年度からスーパーサブとして起用され[3]、12試合で2ゴールをあげる。2001年はサテライトリーグでは好成績を残したが[1]、トップチームでの出場は2試合のみだった。3年目の2002年、同じポジションにイヴィツァ・ヴァスティッチやウェズレイといった選手がおり出番が限られるなか[1]、短い出場時間[1]で18試合で5得点。得点はすべて2ndステージに入ってからのもので[5]、いずれも試合の行方を決定付けるようなゴールだった[4]。その活躍から2003年に入ると山本昌邦が監督を務めるアテネオリンピックに向けたU-22日本代表に選ばれ[2][1]、同年のカタール国際大会、エジプト国際大会などに出場した[2]。2003年は出場機会が減り、とりわけ2ndステージは4試合155分の出場にとどまった[6]。名古屋には4シーズン在籍し、通算成績は51試合出場9得点だった。
2004年はJ2の京都パープルサンガに期限付き移籍[2]。出場機会を求めての移籍であり[6][7][3]、同年のアテネオリンピック出場も目標としていたが[3][6]、12試合出場無得点に終わった。
2005年1月、J2のモンテディオ山形へ期限付き移籍[8]、同年6月に完全移籍[9]。山形では加入1年目の2005年にチーム最多となる12ゴールを記録[10]。2年目はおもにスーパーサブ的な役割で起用されたが[3]、同シーズン限りで戦力外となり退団した[3]。
2007年から2009年は湘南ベルマーレでプレー。1年目には自身2度目となる二桁得点をJ2リーグで記録した。2009年12月、クラブより契約満了が発表される[11]。当初は現役続行の意志を持ち、Jリーグ合同トライアウトにも参加したが[3]、2010年1月15日、自身のブログで引退を表明した。[12][13]
所属クラブ
編集- ユース経歴
- プロ経歴
- 2000年 - 2003年 名古屋グランパスエイト
- 2005年6月 - 2006年 モンテディオ山形
- 2007年 - 2009年 湘南ベルマーレ
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 名古屋 | 20 | J1 | 12 | 2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 16 | 2 |
2001 | 2 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | |||
2002 | 18 | 5 | 2 | 0 | 3 | 2 | 23 | 7 | |||
2003 | 19 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 24 | 1 | |||
2004 | 京都 | J2 | 12 | 0 | - | 1 | 2 | 13 | 2 | ||
2005 | 山形 | 11 | 36 | 12 | - | 0 | 0 | 36 | 12 | ||
2006 | 27 | 5 | - | 2 | 1 | 29 | 6 | ||||
2007 | 湘南 | 20 | 39 | 11 | - | 2 | 1 | 41 | 12 | ||
2008 | 31 | 5 | - | 1 | 1 | 32 | 6 | ||||
2009 | 11 | 1 | - | 1 | 0 | 12 | 1 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 51 | 9 | 11 | 0 | 5 | 2 | 67 | 11 | |
日本 | J2 | 156 | 34 | - | 7 | 5 | 163 | 39 | |||
総通算 | 207 | 43 | 11 | 0 | 12 | 7 | 230 | 50 |
代表歴
編集- 1999年 U-19日本代表候補
- 2003年 U-22日本代表
出典
編集- ^ a b c d e “本誌連動インタビュー「止める蹴るしゃべる」ノーカット版!”. WEBサッカーマガジン. 2008年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月30日閲覧。
- ^ a b c d “名古屋グランパスエイト・FW原竜太選手(22歳)の京都パープルサンガへの期限付き移籍決定(04.01.06)”. J’s GOALアーカイブ. Jリーグ (2004年1月6日). 2016年11月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 「[OB選手たちの現在] 原 竜太(元名古屋)」『Jリーグサッカーキング』2012年8月号、フロムワン、46-47頁。
- ^ a b “21世紀の骨のあるヤツ 第165回 原竜太(Jリーグ)”. @ぴあ. 2016年11月30日閲覧。
- ^ “選手出場記録 名古屋グランパスエイト 2002Jリーグ ディビジョン1 2ndステージ”. Jリーグ (2002年11月30日). 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c “原、期限付き移籍したい!!アテネ五輪代表目指す”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2003年12月24日). 2004年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月1日閲覧。
- ^ “グラ・原竜太 新天地での成長誓う”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2004年2月19日). 2004年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月1日閲覧。
- ^ “原竜太選手 期限付移籍加入のお知らせ”. J’s GOALアーカイブ. Jリーグ (2005年1月18日). 2016年12月1日閲覧。
- ^ “原竜太選手、モンテディオ山形に完全移籍のお知らせ”. J’s GOALアーカイブ. Jリーグ (2005年6月1日). 2016年12月1日閲覧。
- ^ “J2 得点ランキング”. SUPER SOCCER. TBSテレビ. 2016年12月1日閲覧。
- ^ “契約満了選手のお知らせ”. 湘南ベルマーレ (2009年12月6日). 2016年12月1日閲覧。
- ^ “決断”. 原竜太 Official blog -Sink a Shot- (2010年1月15日). 2016年12月1日閲覧。
- ^ “原竜太 選手 現役引退のお知らせ”. J’s GOALアーカイブ. Jリーグ (2010年1月15日). 2016年12月1日閲覧。
- ^ “原竜太 不動産業に転身した28歳にエールを:望月重良のコラム「Jファイル」”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2010年3月19日). 2010年3月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月1日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 原竜太 - Soccerway.com
- 原竜太 - WorldFootball.net
- 原竜太 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 原竜太 - J.League Data Siteによる選手データ
- 原竜太Official Blog -Sink a Shot-