古藤 一聡(ことう かずあき、1975年12月19日 - ) は、日本俳優である。御輿の会「担童連」初代会長。「安藤昇一門会」発起人代表メンバー[2]
東京都豊島区出身[1]。A型[1]国立音楽院中退。

ことう あきら
古藤聡
本名 古藤一聡
生年月日 (1975-12-19) 1975年12月19日(48歳)
出生地 日本の旗 日本東京都豊島区[1]
血液型 A型[1]
職業 俳優
ジャンル 映画
活動期間 2001年 -
事務所 武士魂(サムライハーツ)
主な作品
映画
『裏切りの挽歌』
『光る』
『コイシイヒト』
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来歴 編集

古藤が19歳の時に安藤昇と出会い、惚れ込んだ古藤は安藤に神輿の会の命名をお願いする。古藤が22歳の時に安藤から「担童連」という名前を命名される。

2002年5月24日、「担童連」を結成[2]

2003年、江東区レインボータウンFM開局から約3年間、『担童連 古藤一聡の頑張ろうぜ!日本』のメインパーソナリティを務める[3]

2004年、安藤昇一門会の発起人代表メンバーの1人として抜擢[2]

2010年、芸名本名の古藤一聡から古藤聡(ことうあきら)に変更。役者の仕事は古藤聡で活動している。

2016年3月9日、「古藤聡(俳優)オフィシャルブログ」を開設[4]

2017年、結婚[5]

2018年3月、居酒屋「祭宴 SAIEN」を開店[6]

現在は脚本家旭井寧と共に上海に基盤を移し活動。

人物 編集

三池崇史監督作品『IZO』が釜山国際映画祭ノミネートされ、主演の中山一也と釜山国際映画祭へ行き衝撃を受ける。

Vシネマアウトロー系映画作品の俳優業の一方で、東京渋谷を中心とした御輿(みこし)の会「担童連」の会長として、祭りに意欲的に取り組んでいた[7]

特技ピアノダイビング[要曖昧さ回避][1]

出演 編集

映画 編集

  • IZO(2004年)
  • コイシイヒト(2009年)
  • 光る(2009年)

Vシネマ 編集

  • 実録・安藤組外伝「地獄道」(2001年)
  • 極道最前線 「荒ぶる魂たち」(2002年)
  • 実録・安藤昇侠道伝「烈火」(2002年)[8]
  • 梶原一騎17回追悼記念作品「新・空手バカ一代」(2003年)
  • 梶原一騎17回追悼記念作品「すてごろZANGE」(2003年)
  • すてごろ〜梶原三兄弟激動昭和史〜(2003年)[9]
  • 新・セーラー服刑事 1 - 3(2006 - 2008年)
  • 逆鱗組七人衆(2005年)
  • ヤクザ23区(2007年)
  • 探偵物語(2007年)
  • やくざ抗争史 猛友会 西成愚連隊 掃溜めの夢(2008年)
  • 裏切りの挽歌(2009年)
  • 裏切りの挽歌 復讐編(2009年)
  • 実録・安藤組回想録「鬼哭」(2016年)

舞台 編集

  • 極道たちの校歌Ⅱ(2007年4月、恵比寿・エコー劇場)[10]
  • またまたこんなメンバーでやっちゃいました!PART-8(2008年)

ラジオ 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 古藤聡オフィシャルブログ”. profile. 2021年1月13日閲覧。
  2. ^ a b c 設立”. 担童連. 2021年1月13日閲覧。
  3. ^ a b 『担童連 古藤一聡の頑張ろうぜ!日本』staff&cast”. レインボータウンFM. 2021年1月13日閲覧。
  4. ^ 古藤聡(俳優)オフィシャルブログオープン!”. 古藤聡オフィシャルブログ. 2021年1月13日閲覧。
  5. ^ 結婚報告”. 古藤聡オフィシャルブログ. 2021年1月13日閲覧。
  6. ^ 祭宴営業のお知らせ”. Facebook. 2021年1月13日閲覧。
  7. ^ 勢い衰えたVシネ事情とある中堅俳優の再出発 不器用な性格でテレビ界まで乗り切れず”. 夕刊フジ. 2021年1月13日閲覧。
  8. ^ 実録・安藤昇侠道伝 烈火”. 映画ドットコム. 2021年1月13日閲覧。
  9. ^ すてごろ 梶原三兄弟激動昭和史”. 映画ドットコム. 2021年1月13日閲覧。
  10. ^ 『極道たちの校歌Ⅱ』staff&cast”. finalbaroque. 2021年1月13日閲覧。

外部リンク 編集