只召太后(ししょうおうこう、チソテフ、지소태후生没年不詳)は、新羅第24代王である真興王の生母。法興王と保刀夫人の娘。息子の真興王が即位した際は摂政を務めた。

只召太后
各種表記
ハングル 지소태후
漢字 只召太后
日本語読み: ししょうたいごう
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生涯 編集

父の同腹の弟である葛文王仇珍と婚姻し、息子である彡麦宗(サンメクチョン、後の真興王)を儲けた。

540年に先王である父が崩御する。同年に7歳で即位した息子に代わり、551年頃まで、実権を握った。541年には、異斯夫を兵部の長官に任命させた。彼女の功績として、百済との同盟を続けさせた他に仏教保護にも努めた。

また、花郎世記によると、花郎制度は彼女が制定させたという記述もある。

登場作品 編集

テレビドラマ

只召太后に関連する書物 編集