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吉備 由利(きび の ゆり)、吉備 由利子[1](きび の ゆりこ、? - 宝亀5年1月2日774年2月17日))は、奈良時代後期の女官吉備真備の娘。異説によれば、右衛士少尉下道圀勝の娘[1]で真備の妹。従三位尚蔵吉備命婦とも記される。

経歴編集

藤原仲麻呂の乱後、父(もしくは兄)の吉備真備とともに称徳天皇に信頼され、側近として典蔵を務め、神護景雲2年(768年)10月13日、従三位に昇進した[2]。神護景雲4年(770年)、称徳天皇が病臥すると、同年8月に天皇が没するまでただ一人寝所に出入りを許され、群臣との取り次ぎを務めたという[3]。この間、勅旨によって藤原永手と真備に軍事権が委ねられている。後に尚蔵となり、宝亀5年薨去した。

脚注編集

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  1. ^ a b 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』上巻 古代氏族研究会,1986年
  2. ^ 続日本紀』巻二十九
  3. ^ ただし、全てのことを由利一人が行うことは困難であり、光仁天皇の即位後に叙位を受けている尚侍の大野仲仟と典侍の飯高諸高が彼女を補佐をしていたと考えられている(中川久仁子「飯高諸高」加藤謙吉 編『日本古代の王権と地方』(大和書房、2015年) ISBN 978-4-479-84081-7)。

参考文献編集