名古屋市金山体育館
座標: 北緯35度8分44.3秒 東経136度54分6.8秒 名古屋市金山体育館(なごやしかなやまたいいくかん)は、名古屋市中区古沢町(現金山一丁目5番1号)にかつて存在した体育館。
解説編集
金山体育館は1958年(昭和33年)から1964年(昭和39年)にかけて大相撲七月場所(名古屋場所)が開催されたことで知られる。大東亜戦争(太平洋戦争)当時に飛行機格納庫となっていた場所を転用したもので、冷房設備はなかった。元NHKアナウンサーで相撲評論家の杉山邦博の回想によると、「本場所開催の時の館内は蒸し風呂のような暑さで、通路に氷柱が立てられたり、酸素ボンベを使用して酸素をシューッと送るなどされていた」とのことで[1]、このため、金山体育館時代の大相撲名古屋場所は『南洋場所』『熱帯場所』とも言われていた[1]。
大相撲興行は1965年(昭和40年)から現在の愛知県体育館に移転したことと、同市の人口が200万人に達したことを記念して「芸術文化の振興及び市民福祉の向上を図るため[2]」を目的として名古屋市民会館(日本特殊陶業市民会館)を新たに整備・新設することとなったため、金山体育館は取り壊された。
エピソード編集
1960年(昭和35年)大相撲7月場所9日目、幕内中盤の玉乃海 - 若前田の取組中、中入前からの雷を伴った集中豪雨が最高潮に達し、体育館の天井の窓が破れて東方のタマリ席(砂かぶり)、最前列のサジキ席(マス席)あたりに大量にどっと降り注いだ。観客も検査役もたちまちずぶ濡れ、傘も役に立たないほどの雨漏りだった。