日本 > 千葉県 > 流山市 > 名都借

名都借(なづかり)は、千葉県流山市の地名。郵便番号は270-0145[2]

名都借
名都借・前ケ崎境
名都借・前ケ崎境
名都借の位置(千葉県内)
名都借
名都借
名都借の位置
北緯35度50分58.51秒 東経139度56分38.51秒 / 北緯35.8495861度 東経139.9440306度 / 35.8495861; 139.9440306
日本の旗 日本
都道府県 千葉県
市町村 流山市
人口
2017年(平成29年)11月1日現在)[1]
 • 合計 2,511人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
270-0145[2]
市外局番 04[3]
ナンバープレート 野田

地理

編集

流山市東部に位置する、緑の色濃い地域である。地域内には市立東小学校市立東部中学校、流山市役所東部出張所がある。

東は西松ケ丘松ケ丘、西は前ケ崎、南は向小金、北は柏市豊四季と接している。

小字

編集

名都借には36の小字が存在する。ここでは北から順に列挙する。

  • 向田
  • 井戸田(一部が1972年(昭和47年)に柏市に編入)
  • 赤堀(東部が昭和期に松ケ丘六丁目に編入)
  • 千ヶ井新田(全域が昭和期に松ケ丘六丁目に編入)
  • 西の下
  • 上田ノ上
  • 新兵ヱ作
  • 西ノ上
  • 宮ノ下
  • 矢倉
  • 宮ノ後
  • 宮ノ内
  • 宮ノ脇
  • 中川後
  • アンコウ作
  • 別当内
  • 五枚畑
  • 東前
  • 笹堤(北部が昭和期に松ケ丘六丁目に編入)
  • 新堤
  • 城山下
  • 六斗蒔
  • 城田
  • 笹堀込
  • 坊堀込
  • 中内
  • 長畑
  • ビワクビ
  • 寺ノ下
  • 大井戸根
  • 迎堀込
  • 下内作
  • 並木(東部が昭和40年代に西松ケ丘一丁目に編入)
  • 鼠台
  • 前原
  • 河村台
消滅した小字
  • 板橋(全域が1961年(昭和36年)に松ケ丘五丁目に編入)
  • 木(全域が昭和40年代に西松ケ丘一丁目に編入)
  • 五斗蒔(1982年(昭和57年)に野々下二丁目に編入。野々下二丁目の小字として残る)
  • 蛯沢新田(1982年(昭和57年)に野々下六丁目に編入。野々下六丁目の小字として残る)

歴史

編集

沿革

編集
  • 1869年明治2年) 葛飾県葛飾郡名都借村となる。
  • 1871年(明治4年) 廃藩置県により印旛県葛飾郡名都借村となる。
  • 1873年(明治6年) 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡名都借村となる。
  • 1889年(明治22年) 東葛飾郡市野谷村、思井村、前平井村、後平井村、芝崎村、長崎村、中村、野々下村、古間木村、前ヶ崎村、向小金新田、大畔新田、駒木村、十太夫新田、駒木新田、青田新田、初石新田と合併し、東葛飾郡八木村大字名都借となる。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 流山町、新川村と合併し、東葛飾郡江戸川町大字名都借となる。
  • 1952年(昭和27年)1月1日 江戸川町が流山町に改称。東葛飾郡流山町大字名都借となる。
  • 1967年(昭和42年)1月1日 市制施行により、流山市大字名都借となる。
  • 1972年(昭和47年)5月1日 大字名都借の一部を柏市に編入。

世帯数と人口

編集

2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
名都借 1,032世帯 2,511人

小・中学校の学区

編集

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4][5]

番地 小学校 中学校
全域 流山市立東小学校 流山市立東部中学校

施設

編集
 
東部近隣公園

脚注

編集
  1. ^ a b 町丁字別・男女別人口(世帯数含む) 【各月1日】”. 流山市 (2017年11月2日). 2017年11月28日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月28日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月28日閲覧。
  4. ^ 流山市立小学校通学区域 地番別”. 流山市 (2017年9月15日). 2017年11月28日閲覧。
  5. ^ 流山市立中学校通学区域 地番別”. 流山市 (2017年9月15日). 2017年11月28日閲覧。