君田 富(きみた とみ、天明5年(1785年) - 文政2年(1819年[1]2月[2])は、近江彦根藩の第13代藩主・井伊直中側室で、第15代藩主・井伊直弼らの生母である。お富の方(おとみのかた)、彦根御前[3](ひこねごぜん)と通称された。法名は要妙院[4]

生涯 編集

君田家の素性に関しては不明な点が多く、明確ではない。江戸麹町隼町の伊勢屋十兵衛(君田十兵衛重道)の娘という説[3]、君田家の先祖は武田信玄に仕え勝頼没落後に下野浪人となり、数代民間にあり、祖父の時代に彦根に訪れ「町住宅」していたという説[4]がある[5]

富は幼年の頃から井伊家の中屋敷に仕え、長じて藩主直中の側室となった[3][6]。直中の正室陸奥盛岡藩主・南部利敬の姉の豊であったが、江戸城大奥と井伊家の交際を重視して直中の彦根退隠に従わず、江戸で生活を続けていたため、富は直中の寵愛を強く受けた[7]。富は容姿が美しく、賢婦人の誉れが高かったので、井伊家家中からは彦根御前と呼ばれて尊敬された[3]

直中と富の間には、文化6年4月16日1809年5月29日)に十一男の直元、文化7年12月5日1810年12月30日)に十三男の直与(なおくみ、後の内藤政優)、文化12年10月29日1815年11月29日)に十四男の直弼[4] が生まれている。

富は文政2年(1819年)2月に急死した[2]。享年35[8]

脚注 編集

  1. ^ 吉田 1963, p. 413.
  2. ^ a b 母利 2006, p. 15.
  3. ^ a b c d 吉田 1963, p. 1.
  4. ^ a b c 母利 2006, p. 13.
  5. ^ 富の兄弟?とされる君田十助が彦根藩に提出した公式記録。
  6. ^ 「観徳院様(直中)御代、文化五辰年正月、要妙院(富)様御由緒をもって三人扶持下し置かれ」(『侍中由緒帳9』)
  7. ^ 母利 2006, p. 14.
  8. ^ 吉田 1963, p. 3.

参考文献 編集

  • 吉田常吉『井伊直弼』吉川弘文館〈人物叢書〉、1963年。 
  • 母利美和『井伊直弼』吉川弘文館〈幕末維新の個性〉、2006年。