和田 晋(わだ しん、1898年明治31年〉 - 1982年昭和57年〉9月17日)は、日本剣道家段位範士九段(全日本剣道連盟)。一刀流溝口派剣術の継承者。

わだ しん

和田 晋
和田晋胸像(善龍寺境内)
生誕 福島県会津若松市
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京高等師範学校
流派 一刀流溝口派
肩書き 全日本剣道連盟範士九段
親戚 井深宅右衛門(祖父)
和田勁(兄)
受賞 勲五等双光旭日章
福島県文化功労賞
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経歴

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会津藩士・和田又四郎の子として福島県会津若松市に生まれる。祖父・井深宅右衛門戊辰戦争の際、切腹前の萱野長修から箸で一刀流溝口派を伝授された。明治維新後、井深から又四郎に、又四郎から晋に受け継がれた。

1919年大正7年)、東京高等師範学校に入学し、高野佐三郎に師事。卒業後、石川県師範学校金沢第四高校府立第七中学校攻玉社中学校若松商業高校会津短期大学などで剣道を指導した。

晋は他言他見無用の掟を守り、一刀流溝口派を秘密にしていたが、自分が死去すれば貴重なが失われてしまうため公開した。1968年(昭和43年)、第14回全日本東西対抗剣道大会で初めて公開し、同年の全日本剣道選手権大会でも演武した。公開時に覚えていたのは一部の形のみであったが、一刀流溝口派が完全に失われる危機を免れた。

全会津剣道連盟会長、会津武徳殿師範、福島県剣道連盟副会長、全日本剣道連盟審議員を歴任し、1982年(昭和57年)死去。享年84。

栄典

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参考文献

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外部リンク

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