喜多道矩
江戸時代前期の黄檗画像(黄檗僧の頂相)の画家
(喜多長兵衛から転送)
喜多 道矩(きた どうく、生年不詳 - 寛文3年9月13日(1663年))は、江戸時代前期の黄檗画像(黄檗僧の頂相)の画家。
通称長兵衛。
略伝
編集隠元隆琦に随って渡来した明画人の楊道真に師事し、黄檗画像の技法を学んだ。はじめ長崎で隠元・即非・木庵の頂相を画き、「隠元かきの長兵衛」と称された。明暦3年2月(1657年)の木庵自賛像が確認できる最も早い時期の作品である。作品には「長」[1]の印を用いている。寛文元年(1661年)、隠元の萬福寺晋山に随って黄檗山に上った。同3年に没して黄檗山万松岡に葬られた。子の喜多元規は黄檗画像の代表的画家となった。
註
編集関連項目
編集参考文献
編集- 大槻幹郎編『黄檗文化人名辞典』1988年 思文閣出版 ISBN 4784205381