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喜連川 恵氏(きつれがわ やすうじ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名下野国喜連川藩7代藩主。

 
喜連川恵氏
Kitsuregawa Yasuuji.jpg
喜連川恵氏像(龍光寺蔵)
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦2年(1752年)※異説あり
死没 文政12年5月16日1829年6月17日
改名 金王丸・廉之助(幼名)、恵氏
戒名 賢良院殿
墓所 栃木県さくら市龍光寺
官位 左兵衛督大蔵大輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治家斉
下野喜連川藩
氏族 加藤氏喜連川氏
父母 父:加藤泰衑、養父:喜連川氏連
兄弟 恵氏加藤泰行溝口直英加藤泰候加藤泰豊加藤泰周大関増業
稲垣長以正室、毛利高標正室、恭心院
正室:前田利道娘・崎
彭氏氏久氏敏生駒親章正室、
大沢基隆室、毛利高誠正室、
織田信順継室、女子

生涯編集

宝暦2年(1752年)、異説として宝暦4年(1754年)6月10日、伊予国大洲藩6代藩主・加藤泰衑の長男として誕生した。

宝暦11年(1761年)11月、喜連川藩6代藩主・喜連川氏連の養嗣子となり、12月に氏連が死去すると、宝暦12年(1762年)2月23日に跡を継いだ。

明和5年(1768年)12月1日に徳川家治御目見し、寛政元年(1789年)12月10日に子の彭氏に家督を譲って隠居し、大蔵大輔に叙任された。

文政12年(1829年)5月16日に死去。

系譜編集