国摩大鹿島命

古墳時代の豪族・中臣氏の祖。垂仁天皇の五大夫。
 
国摩大鹿島命
時代 古墳時代
生誕 不明
死没 不明
別名 大鹿島
主君 垂仁天皇
氏族 中臣氏
父母 父:久志宇賀主命
臣狭山命
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国摩大鹿島命(くになずのおおかしまのみこと)は、古墳時代豪族中臣氏の祖。

概要編集

日本書紀』の垂仁天皇25年紀に中臣連の遠祖の大鹿島として登場し、阿部臣の遠祖の武渟川別和珥臣の遠祖の彦国葺に続いて五大夫の一人に数えられている。

宝賀寿男は、この順番について、臣姓二氏に続いて中臣氏、物部氏大伴氏伴造三氏の中で最初にその名が挙げられるが、当時の祭祀者の地位が高かったこと、また当該記事が神祇の祭祀に関することを考えると、祭祀担当の中臣氏が高順位で見えることは必ずしも後世の潤色・脚色とは言い切れないと主張している[1]

宝賀寿男による異説編集

大鹿島の名は常陸鹿島の地名によるものであると見られるが、『常陸国風土記』の香嶋郡条には崇神朝神聞勝命(大鹿島命の先祖)と倭武天皇に仕える臣狭山命が登場することからも、中臣氏本宗家である神聞勝命、国摩大鹿島命、臣狭山命の三代ほどが東国で活動した可能性がある[2]

系譜編集

父は久志宇賀主命で、臣狭山命を子とする系図がある[3]

脚注編集

  1. ^ 宝賀寿男「二 中臣氏の初期段階ー占部と中臣氏の祖先たち」『古代氏族の研究⑤ 中臣氏 卜占を担った古代占部の後裔』青垣出版、2014年、28頁。
  2. ^ 宝賀寿男「二 中臣氏の初期段階ー占部と中臣氏の祖先たち」『古代氏族の研究⑤ 中臣氏 卜占を担った古代占部の後裔』青垣出版、2014年、32-37頁。
  3. ^ 尊卑分脈

関連項目編集