国民政府建国大綱

国民政府建国大綱」は、中華民国13年(1924年)の4月12日孫文によって書かれた、中華民国建国後、国家建設のために提案した計画書である。略称「建国大綱」。全文は25条。三民主義と五権憲法(立法司法行政、監察または弾劾考試)に基づいて中華民国を建設すること。国を建設の順序は軍政時期,訓政時期,憲政時期の3段階とすることを定めた。

国立国父紀念堂館に展示された「国民政府建国大綱」の写し
中国広州の中山記念堂にある孫文銅像の土台に刻まれた「国民政府建国大綱」

起源編集

建国大綱は、孫文が革命方法に対するのまとめである。実際、孫文は中国同盟会にいる期間には早くも「革命方略」に似たようなものを書いた[1]

孫文によると、1911年の辛亥革命の成果は、260年以上にわたる満清貴族の独裁専制、4000年の中国君主制を終結させるし、中華民国の国号になったのみだった。

国の建設三段階編集

軍政編集

中華民国の建国後、内戦が続き、各地域の軍閥が割據、統一の政府が存在せず、革命が提唱した原則を円滑に実行することができず、民衆も戦争状態にある。そのため、「建国大綱」では、軍政期間中、すべての制度は軍政に置く。政府は軍を利用し国内の障害を一掃する。一方、主義主張を宣伝し、全国の民衆を啓発する。一つの省の統治が完全に安定した時、その省における訓政が始まり、軍政が終了とする[2]

訓政編集

中国国民党が政府職権を代行で行使し、党国体制で国を統治すること。訓練された役人を各省に派遣し、自治を協力し、実業を興す。

憲政編集

半数以上の省が自治を完了すると、憲政の準備をし、中国国民党は功遂げ身を退き、国民が国を統治する権力を行使する。当時の中国の人口が多く、国民の知恵が全般的に不足していることから、憲法に直接民主主義の上、代議機関の国民大会を設置し、全体国民を代表して選挙、罷免、創制、複決(国民投票)の4つの権力を行使する。

歴史的プロセス編集

軍政期間編集

軍政期間は、1917年の広東軍政府の成立から、1928年に国民革命軍の北伐完了までだった。

訓政期間編集

1928年、国民政府の第二次北伐が成功、中国の全国を統一した。そして、国民政府が訓政時期の国の基本法に相当する「訓政時期約法」を策定した。1928年から1947年憲法施行前は訓政時期だった。1947年12月25日に「訓政結束程序法」(訓政終了のプロセス法)を公表し中華民国が憲政時代に入ることを示した[3]

憲政期間編集

1936年5月5日、国民政府が「中華民国憲法草案」(「五五憲法草案」)の起草を発表した。これは中華民国憲法の前身である。本来、制憲国民大会で審議されるべきだが、日中戦争の勃発により、制憲国民大会が召集できず、憲政が延期された。日中戦争の勝利後、1946年12月25日、制憲国民大会は「中華民国憲法」を可決した。1947年1月1日に公布、同年12月25日に施行された。 1948年5月20日、国民政府は中華民国政府に再編され、国民政府主席中華民国総統に変更された。中華民国は遂に制度上憲政期間に入る。しかし、1948年5月10日に施行され「動員戡乱時期臨時条款」制限により、実質の憲政は1991年5月1日で始まることになった。その後「中華民国憲法増修条文」を加え、中華民国自由地区にで運用されて現在に至る。

脚注編集

出典編集

  1. ^ 孫中山:革命方略”. 2020年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月13日閲覧。
  2. ^ 崔, 書琴『三民主義新論』臺灣商務印書館、台北市、民55。ISBN 957-05-0071-9OCLC 847808486
  3. ^ 訓政結束程序法

関連項目編集