国重 就信(くにしげ なりのぶ)は、江戸時代武士毛利氏の家臣で長州藩士。父は国重元恒

 
国重就信
時代 江戸時代
生誕 寛永9年(1632年
死没 宝永7年9月26日1710年11月16日
改名 国重万介(幼名)→就之→就信
別名 通称:七之助、七左衛門
主君 毛利秀就綱広吉就吉広吉元
長州藩
氏族 清和源氏義光流安芸武田氏庶流国重氏
父母 父:国重就恒、母:井村春直の娘
兄弟 就信政恒、女(南方就定室)、仲直之
正室:赤川就雅の娘
継室:井上就与の娘
恒信、女(国重信共室)、女(三隅信久室)
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生涯編集

寛永9年(1632年)、毛利氏家臣・国重就恒の子として生まれる。寛永20年(1643年1月11日毛利秀就から「七之助」の通称と「就」の偏諱を与えられて「就之」と名乗ったが、後に「就信」に名を改めた。

以後、毛利秀就綱広吉就吉広吉元の五代に仕え、宝永7年(1710年9月26日に死去。享年79。子の恒信(長太郎、又右衛門)が後を継いだ。

参考文献編集