土橋 友直(つちはし ともなお/ゆうちょく、1685年貞享2年)- 1730年11月11日享保15年10月2日))は、江戸時代中期の儒学者[1][2]国学者である[2]。本姓は三宅[1]。通称は七郎兵衛。号は誠斎、好古堂。

経歴・人物 編集

三宅友政の子として和泉貝塚に生まれる[3]三宅如幽の養子となった後に[3]摂津平野の土橋家の家系となり土橋姓を名乗った[1][3]。その後河瀬菅雄及び伊藤仁斎[2][3]三輪執斎の門下となり[3]和歌陽明学[3]古学[2]医学等様々な学問を学んだ[3]

1717年享保2年)には郷学施設である「含翠堂」を地元の有志らと共に創設し[1][3]、講師には初代学主となる三宅石庵伊藤東涯[2]五井蘭洲の実父である五井持軒等多くの学者を雇った[2]。後にこの施設は1724年(享保9年)の「懐徳堂」の創設に影響を与え[3]、多くの学者が講師に参加した[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d 土橋友直”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)株式会社DIGITALIO. 2023年2月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 土橋友直”. 百科事典マイペディア(平凡社)株式会社DIGITALIO. 2023年2月3日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 土橋友直”. 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)株式会社DIGITALIO. 2023年2月3日閲覧。