坂上 貞野(さかのうえ の さだの)は、平安時代前期の官人医師。名は真野とも記される。氏姓は蔵人(無姓)のち坂上宿禰官位従五位下侍医

 
坂上貞野
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 貞観14年7月20日872年8月27日
別名 真野
官位 従五位下侍医
主君 清和天皇
氏族 蔵人(無姓)→坂上宿禰
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出自

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蔵人は職業人の一つで、朝廷の倉庫(内蔵大蔵・地方の倉庫)に関する業務を担当した[1]阿知使主の後裔とされる渡来氏族[2]

経歴

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清和天皇の侍医を務め、貞観9年(867年)正月に従五位下に叙せられ、同年11月には蔵人(無姓)から坂上宿禰に改姓した。貞観12年(870年美作権介を兼ねるが、貞観14年(872年)7月25日卒去。最終官位は外従五位下行侍医兼美作権介。

官歴

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日本三代実録』による。

脚注

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  1. ^ 太田[1963: 2181]
  2. ^ 『新撰姓氏録』摂津諸蕃

参考文献

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