坂井 越中守(さかい えっちゅうのかみ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将織田氏家臣。父は坂井政尚、兄は尚恒(久蔵)

 
坂井越中守
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 天正10年6月2日1582年6月21日
官位 越中守
主君 織田信長信忠
氏族 坂井氏
父母 父:坂井政尚
兄弟 尚恒越中守
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生涯 編集

織田信長の家臣である坂井政尚の子として生まれる。

元亀元年(1570年6月28日姉川の戦いで兄・尚桓が戦死し、同年11月26日近江堅田城の戦いで父・政尚も戦死したため、家督を相続して織田信長に仕えた。

天正3年(1575年11月28日に信長が嫡男の信忠に家督を譲ると、越中守は信忠付きの側近となり、各地を転戦した。

天正10年(1582年)2月から3月にかけての武田攻めにも信忠に従って出陣し、生け捕りにされた飯羽間右衛門尉を成敗している[1]

5月、信忠に従って上洛するが、6月2日本能寺の変で信長が明智光秀に殺害されると、信忠に従って二条新御所で明智軍と戦い、戦死した。

脚注 編集

  1. ^ 信長公記

関連項目 編集