塚穴古墳(つかあなこふん)は、大阪府河内長野市上原西町にある古墳。現状の形状は円墳

塚穴古墳
塚穴古墳全景
所在地 大阪府河内長野市上原西町19
形状 現状で円墳
規模 現状で約15m
埋葬施設 横穴式石室
築造時期 不明
被葬者 不明(高向王との説あり[1]
特記事項 解体後に近世に再構築
テンプレートを表示

概要 編集

もともと古墳時代に作られた古墳であるが、一旦壊されたのちに石室が再構築されており、このような経過をもつ古墳は類を見ない[2]

河内長野市教育委員会の調査では、石室内部からは人の火葬骨が入ったが出土したほか、土器や陶磁器に混じって永楽通宝寛永通宝などの銅銭も出土していること、周辺の宝篋印塔などの石造物に刻まれた年号などから、古墳の石室は江戸時代に組み直されて、墓地に転用されたとみられている[2]

伝承 編集

地元では、「豊臣秀吉による大坂城築城の際に、石材を得るために古墳を解体した。あまりに大きな石だったのでくさびを入れて割り、運び出そうとしたが『怪異が生じ』、元のように石室を組み直した」との伝承がある[1]。 実際に石室内の石材には、石を割るためのくさびの痕が確認できる。

参考文献 編集

  • 上原土地区画整理に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書(上原遺跡 塚穴古墳)(河内長野市教育委員会、1998年)
  • 河内長野市史 1巻(1994年)[1]
  • 現地設置看板(河内長野市上原財産区、1997年7月)

出典 編集

  1. ^ a b c 中身を暴こうとすると天変地異が起きた?「塚穴古墳」の怪伝説」『産経ニュース』産経デジタル、2017年9月13日。オリジナルの2024年4月22日時点におけるアーカイブ。
  2. ^ a b 上原土地区画整理に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書(上原遺跡 塚穴古墳)(河内長野市教育委員会、1998年)