壬生胤業
壬生 胤業(みぶ たねなり)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武士。下野宇都宮氏の家臣。下野国壬生城主。壬生氏初代当主。
時代 | 室町時代後期 - 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 |
明応2年11月1日(1493年12月9日)[1]永正2年(1505年)[2] 永正3年(1506年)[3] |
別名 | 彦五郎 |
戒名 | 常楽寺殿亀雲道鑑 |
官位 | 筑前守 |
主君 | 下野宇都宮氏 |
氏族 | 壬生家(小槻氏)→壬生氏 |
父母 | 父:壬生晨照? |
兄弟 | 晴富?、胤業 |
妻 | 正室:智光院殿大丘妙慶 |
子 | 綱重 |
出自
編集略歴
編集公家でありながら武芸を好み、諸国に下向した末に寛正3年(1462年)に下野で壬生氏を興したとされる。壬生城を築き本拠とし、以後の壬生氏発展の礎を築いた。下野宇都宮氏に従属し、子は元服時に宇都宮明綱もしくは正綱の一字を与えられて「綱重」と名乗っている[5]。
また、壬生町に鎮座する雄琴神社は、胤業が小槻氏の氏神である近江国雄琴[7]の雄琴神社より勧請して合祀し、同名に改めたものとされる。