大久保忠兼

江戸時代初期の駿河国沼津藩の世嗣

大久保 忠兼(おおくぼ ただかね)は、江戸時代初期の駿河国沼津藩の世嗣。通称は長十郎。官位従五位下因幡守

 
大久保忠兼
時代 江戸時代初期
生誕 慶長4年(1599年
死没 慶長18年4月14日1613年6月2日
別名 長十郎(通称)
官位 従五位下因幡守
駿河沼津藩世嗣
氏族 大久保氏
父母 大久保忠佐
兄弟 竹丸、忠兼、久兵衛室、本間平兵衛室、
青山忠俊正室、服部元延
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略歴 編集

大久保忠佐の次男として誕生。

慶長6年(1601年)に父・忠佐が沼津藩主となり忠兼はその世嗣とされた。慶長18年(1613年)に従五位下因幡守に叙任されたが、同年4月14日に父に先立って15歳で早世した。同年9月27日には父の忠佐も死去し、忠佐の長男(忠兼の兄)である竹丸も早世していたため、沼津藩は無嗣断絶で改易となった。