大和田銀行
歴史
編集概要
編集1892年(明治25年)11月1日に、敦賀の大商人であった大和田荘七によって設立[1][2]し、1896年(明治29年)10月に大阪支店、1897年(明治30年)2月には武生支店、同年夏に福井支店を開設するなど早くから店舗網を拡大した[3]。その後、1918年(大正7年)6月23日に株式会社組織に改組した[1]。
福井県内において福井銀行と並ぶ有力銀行として大阪市内にも支店を有し、大正7年には大阪のコール市場にも進出した[3]。その後、大和田氏関係の銀行や嶺南地方の銀行を合併しながら拡大するも、福井県全域で幅広く合併を繰り返した福井銀行との格差は拡大した。
戦時下における一県一行政策に基づき、大蔵省、福井県は、大和田銀行と福井銀行の新立合併を勧奨するも、福井銀行が吸収合併を譲らなかった。なお、大和田銀行は1945年(昭和20年)10月1日に三和銀行に吸収合併される道を選び、歴史の幕を閉じた[1][2]。
合併直後に敦賀市を除く福井県及び石川県内の旧大和田銀行店舗は、福井銀行に営業譲渡された。本店はしばらくの間、三和銀行敦賀支店として存続したが、その後同店は廃止となり、結局福井銀行へ営業譲渡されることとなった。一方大阪市内にあった2店舗については、近隣店への統廃合を経て、現在は三菱UFJ銀行として営業している。
備考
編集年表
編集本店跡
編集役員
編集『日本全国諸会社役員録 明治31年』
編集『日本全国諸会社役員録 明治36年』
編集『日本全国諸会社役員録 明治42年』
編集『銀行会社要録 附・役員録 第27版』
編集『日本全国諸会社役員録 第43回』
編集『日本全国諸会社役員録 第47回』
編集大株主氏名及持株数
編集『銀行会社要録 附・役員録 第27版』
編集『銀行会社要録 附・役員録 第30版』
編集『日本全国諸会社役員録 第47回』
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g h 北陸銀行調査部百年史編纂班編 『創業百年史』 北陸銀行、1978年3月。
- ^ a b c d e f 『福井銀行八十年史』 福井銀行、1981年3月。
- ^ a b 『福井県史 通史編5 近現代一』 福井県、1994年。
- ^ “大和田伸也・健介〜先祖は敦賀の豪商 故郷を背負って”. TVでた蔵. ワイヤーアクション (2017年12月9日). 2022年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月9日閲覧。
- ^ 『旧大和田銀行本店建物(敦賀市立博物館)修復事業完了記念誌』 敦賀市立博物館発行、2015年7月4日。
- ^ 「重要文化財(建造物)の指定について 平成28年10月21日」 文化庁、2017年1月25日閲覧。
- ^ 平成29年2月23日文部科学省告示第17号。
- ^ a b 『日本全国諸会社役員録 明治31年』福井県248頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月18日閲覧。
- ^ a b c 『日本全国諸会社役員録 明治36年』福井県565 - 566頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月18日閲覧。
- ^ a b c 『日本全国諸会社役員録 明治42年』福井県 下編608頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『銀行会社要録 附・役員録 第27版』福井県1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月17日閲覧。
- ^ a b c d 『日本全国諸会社役員録 第43回』福井県 下編331 - 332頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『日本全国諸会社役員録 第47回』福井県 下編188頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月19日閲覧。
- ^ a b c d e 『銀行会社要録 附・役員録 第30版』福井県1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月18日閲覧。
参考文献
編集- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治31年』商業興信所、1903 - 1911年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治36年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治42年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 東京興信所編『銀行会社要録 附・役員録 第27版』東京興信所、1923年。
- 東京興信所編『銀行会社要録 附・役員録 第30版』東京興信所、1926年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第43回』商業興信所、1935年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第47回』商業興信所、1939年。