大和証券ホットブリザーズ
大和証券グループ本社ホットブリザーズ(だいわしょうけんグループほんしゃホットブリザーズ、英: Daiwa Securities Group Inc. Hot Blizzards)は、かつて存在していた日本のバスケットボールチーム。本拠地は東京都。元バスケットボール日本リーグ所属。現在、B.LEAGUEに所属している新潟アルビレックスBBの前身となったチームである。
大和証券グループ本社ホットブリザーズ Daiwa Securities Group Inc. Hot Blizzards | |
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愛称 | ホットブリザーズ |
所属リーグ | バスケットボール日本リーグ |
創設年 | 1954年 |
解散年 | 2000年 |
チーム史 |
大和証券バスケットボール部 (1954年 - 1993年) 大和証券ホットブリザーズ (1993年 - 1999年) 大和証券グループ本社ホットブリザーズ (1999年 - 2000年) |
本拠地 | 東京都 |
企業 | 大和証券グループ本社 |
歴史
編集1954年に大和証券バスケットボール部として発足。当時は証券会社による対抗バスケットボール大会に参加し、結成当初から1963年度までの10年間無敗で連続優勝を続けた。
その後1963年に関東実業団連盟の1部リーグ戦に参加。1967年の全日本実業団で上位に入り、第1回全国実業団リーグ(後の日本リーグ)に参加。しかし1年で降格。
1972年・1973年の全日本実業団で連覇を達成し、1980年の全国実業団選手権でも優勝を果たす。
1991年から旧・日本リーグ参戦を果たし、2部初優勝。1993/1994年シーズンから1部加盟。これを機に「ホットブリザーズ」という愛称でプレーするとともに、1993年度で廃部された熊谷組から選手及びコーチを受け入れて再スタートを切った。
1999年、大和証券の持株会社化により大和証券グループ本社のバスケットボール部となり、チーム名も「大和証券グループ本社ホットブリザーズ」に改称。
しかし、長期不況が影響し証券業界の再編が進むことを背景に1999/2000年シーズンを最後に休部。チームの新たな受け皿としてNSGグループに移譲され「新潟アルビレックス(現:新潟アルビレックスBB)」に生まれ変わった。
なお、大和証券は女子バスケットボール部も日本リーグに参加していた。
ちなみに、相模原市で活動するクラブチーム「相模原ホットブリザーズ」とは直接の関係はないが、ユニフォームは共通のデザイナーが手掛けている[1]。
2013年3月23日・24日に行われた新潟主催ゲーム(対高松ファイブアローズ戦)にて大和証券時代の復刻ユニフォームが制作され当時の新潟所属選手が着用した[2]。
過去の成績
編集旧JBL
編集年度 | リーグ | ディビジョン | 回 | レギュラーシーズン | セミファイナル | ファイナル | 最終結果 | ||||
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勝 | 敗 | 順位 | 勝 | 敗 | 勝 | 敗 | |||||
1967 | 日本リーグ | 1 | 1 | 6 | ? | ? | ? | ? | ? | 7位 | |
1968 | 実業団リーグ | ? | ? | ? | ? | ? | ? | ? | ? | 不明 | |
1969 | ? | ? | ? | ? | ? | ? | ? | ? | 不明 | ||
1970 | ? | ? | ? | ? | ? | ? | ? | ? | 不明 | ||
1971 | 1 | ? | ? | ? | ? | ? | ? | ? | 不明 | ||
1972 | 2 | 4 | 6 | ? | ? | ? | ? | ? | 5位 | ||
1973 | 3 | 4 | 6 | ? | ? | ? | ? | ? | 3位 | ||
1974 | 4 | 4 | 6 | ? | ? | ? | ? | ? | 3位 | ||
1975 | 5 | 8 | 2 | 位 | 優勝 | ||||||
1976 | 6 | 6 | 4 | 位 | 4位 | ||||||
1977 | 7 | 2 | 8 | 位 | 5位 | ||||||
1978 | 日本リーグ | 2部 | 12 | 6 | 4 | 位 | 3位 | ||||
1979 | 13 | 3 | 7 | 位 | 5位 | ||||||
1980 | 14 | 5 | 5 | 位 | 準優勝 | ||||||
1981 | 15 | 2 | 8 | 位 | 5位 | ||||||
1982 | 16 | 1 | 9 | 位 | 5位 | ||||||
1983 | 17 | 6 | 8 | 位 | 4位 | ||||||
1984 | 18 | 10 | 4 | 位 | 準優勝 | ||||||
1985 | 19 | 6 | 8 | 位 | 4位 | ||||||
1986 | 20 | 4 | 10 | 位 | 6位 | ||||||
1987 | 21 | 1 | 13 | 位 | 8位 | ||||||
1988 | 22 | 5 | 10 | 位 | 6位 | ||||||
1989 | 23 | 1 | 14 | 位 | 6位 | ||||||
1990 | 24 | 10 | 5 | 位 | 準優勝 | ||||||
1991 | 25 | 12 | 3 | 位 | 優勝 | ||||||
1992 | 26 | 10 | 5 | 位 | 準優勝 | ||||||
1993 | 27 | 11 | 4 | 位 | 優勝 | ||||||
1994 | 1部 | 28 | 7 | 9 | C4位 | 7位 | |||||
1995 | 29 | 8 | 8 | C4位 | 4位 | ||||||
1996 | 30 | 9 | 7 | T3位 | 4位 | ||||||
1997 | 31 | 7 | 9 | C2位 | 3位 | ||||||
1998 | 32 | 8 | 8 | C3位 | 4位 | ||||||
1999 | 33 | 10 | 6 | T4位 | 7位 |
※日本リーグ1部の第22回(1988年)から第33回(1999年)まではC(クーガー)、T(タイガー)のディビジョン制を導入。
主な歴代所属選手
編集太文字は新潟でも引き続きプレーした選手。
- 大野忠(引退後は角界に転向し栃偉山弘行の四股名で活動)
- 廣瀬昌也(元熊谷組、大和証券最後かつ新潟初代のヘッドコーチ)
- 外山英明(元熊谷組、在籍中プロ第1号契約)
- 渡辺信宏(元熊谷組)
- 信田英樹
- 宮ノ腰達也
- 小納真良
- 藤田将弘
- 小宮邦夫
- 青木勇人(新潟での1シーズン目は出向(社員)選手としてプレー)
- 庄司和広
- 松本克也
- 大渕幹大
- エリック・マッカーサー
なお、鈴木裕紀は大和証券より内定を受けていたが、直後に休部となったため新潟に新人選手として入団した。
脚注
編集- ^ メンバーリスト
- ^ “【お知らせ】新潟アルビレックスBB「大和証券ホットブリザーズ復刻ユニフォーム」発表記者会見の報告”. 株式会社新潟プロバスケットボール (2013年3月14日). 2017年7月10日閲覧。