大国村 (鳥取県)

日本の鳥取県西伯郡にあった村

大国村(おおくにそん[1][2])は、鳥取県西伯郡にあった。現在の西伯郡南部町の一部にあたる。

おおくにそん
大国村
廃止日 1955年3月30日
廃止理由 新設合併
天津村大国村法勝寺村上長田村東長田村西伯町
現在の自治体 南部町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
西伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,804
国勢調査、1950年)
隣接自治体 天津村、法勝寺村
島根県能義郡伯太村
大国村役場
所在地 鳥取県西伯郡大国村大字原
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地理 編集

法勝寺川の中流、同支流の北方川・絹屋川の流域に位置していた[2]

  • 山岳:大平山[3]、母塚山系[4]、道面山[5]

歴史 編集

  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、会見郡原村、倭村、北方村、猪小路村、与一谷村、西村、絹屋村、鍋倉村が合併して村制施行し、大国村が発足[1][2]。旧村名を継承した原、倭、北方、猪小路、与一谷、西、絹屋、鍋倉の8大字を編成[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により西伯郡に所属[2]
  • 1951年(昭和26年)大字倭に大国村など5か村事務組合の西伯病院開設[3]
  • 1955年(昭和30年)3月30日、西伯郡天津村、法勝寺村、上長田村、東長田村と合併し、町制施行し西伯町を新設して廃止された[1][2]。合併後、西伯町大字原・倭・北方・猪小路・与一谷・西・絹屋・鍋倉となる[2]

産業 編集

教育 編集

  • 1890年(明治23年)潤徳簡易小学校開校[6]。1892年(明治25年)潤徳簡易小学校を原簡易小学校に統合し、大国尋常小学校となる[2]。1941年(昭和16年)大国国民学校に改称[2]。1945年(昭和20年)米子市弓ヶ浜半島からの疎開児童を受入れ在籍生徒353名となる[7]。1947年(昭和22年)大国小学校に改称[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』121頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』166-167頁。
  3. ^ a b 「倭〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』799頁。
  4. ^ 「北方〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』279頁。
  5. ^ 「鍋倉〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』569頁。
  6. ^ 「西〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』577頁。
  7. ^ 「原〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』624-625頁。

参考文献 編集

関連項目 編集