大宅 宗永(おおやけ の むねなが、弘仁7年(816年) - 没年不明)は、平安時代前期の人物。姓は朝臣。
左京の人。仁和元年(885年)筑後守都御酉襲撃事件の謀議に加わるが、行動を共にせず、年齢70歳で贖銅百斤に処された[1][2]。