大宅 宗永(おおやけ の むねなが、弘仁7年(816年) - 没年不明)は、平安時代前期の人物。朝臣

経歴

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左京の人。仁和元年(885年)筑後守都御酉襲撃事件の謀議に加わるが、行動を共にせず、年齢70歳で贖銅百斤に処された[1][2]

脚注

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  1. ^ 『日本三代実録』巻第四十八、光孝天皇、仁和元年12月23日条
  2. ^ 阿部 2009, 165頁.

参考文献

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  • 経済雑誌社 編『国史大系 第4巻 日本三代実録』経済雑誌社、1901年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991094 
  • 阿部猛『日本古代人名辞典』東京堂出版、2009年。ISBN 4490107617