大徳郡(テドクぐん、대덕군)は、1935年10月1日から1988年12月31日まで存続していた忠清南道の郡。本項では前身にあたる大田郡대전군)についても記述する。

行政区画編集

沿革編集

大田郡編集

鎮岑面・杞城面・柳川面・儒城面・内南面・炭洞面・九則面・外南面・大田面・山内面・北面・東面
  • 1917年10月1日 - 内南面が懐徳面に改称。[3](12面)
  • 1931年4月1日 - 大田面が大田邑に昇格。[4](1邑11面)
  • 1932年 - 忠清南道道庁が公州より移転。

大徳郡編集

  • 1935年10月1日(11面)[5]
    • 大田邑が大田府に昇格・分離。
    • 大田郡の残り地域は大徳郡に改称。
  • 1940年11月1日 - 大田府拡張による行政区画調整。[6](10面)
    • 柳川面の柳川里・唐垈里・沙亭里・平里および龍頭里の一部、外南面の弘道里・佳陽里・蘇堤里・連孝里・山所里・龍坊里・石橋里・中村里が大田府に編入。
    • 外南面の三丁里・加午里・虎洞里・玉渓里・大城里が山内面に編入。
  • 1963年1月1日 - 柳川面全域および懐徳面の大禾里・梧井里・龍田里、山内面の玉渓里・加午里・三丁里・虎洞里が大田市に編入。[7](9面)
  • 1973年7月1日(2邑7面)[8]
  • 1983年2月15日(1邑6面)[9]
    • 儒城邑および九則面・炭洞面・杞城面・鎮岑面の各一部が大田市中区に編入。
    • 懐徳面が大田市東区に編入。
  • 1987年 - 鎮岑面の一部が大田市東区に編入。(1邑6面)
  • 1989年1月1日 - 以下の変更により、大徳郡は廃止。[10]
    • 東面および山内面の朗月里・大別里・二沙里・大城里・長尺里・小好里・九到里・三槐里・上所里・下所里が大田直轄市東区に編入。
    • 山内面の無愁里・旧完里・砧山里・木達里・政生里・於南里・錦洞里が大田直轄市中区に編入。
    • 杞城面が大田直轄市西区に編入。
    • 新灘津邑が新設の大田直轄市大徳区に編入。
    • 九則面炭洞面および鎮岑面の大部分(南仙里を除く)が新設の大田直轄市儒城区に編入。
    • 鎮岑面の南仙里が論山郡豆磨面に編入。

脚注編集

  1. ^ (新旧対応)朝鮮全道府郡面里洞名称一覧(1917年
  2. ^ 朝鮮総督府令第111号(1913年12月29日)
  3. ^ 道令第8号(1917年9月25日)
  4. ^ 朝鮮総督府令第103号(1930年12月29日)
  5. ^ 朝鮮総督府令第112号 도의위치관할구역및부군의명칭위치관할구역의규정(1935年9月28日)
  6. ^ 朝鮮総督府令第220号(1940年10月23日)
  7. ^ 法律第1175号 시·군관할구역변경및면의폐치에관한법률(1962年11月21日
  8. ^ 大統領令第6543号 邑設置に関する規定(1973年3月12日
  9. ^ 大統領令第11027号 市・郡・区・邑・面の管轄区域変更及び面設置等に関する規定(1983年1月10日)第4条
  10. ^ 法律第4049号 대전직할시설치에관한법률(1988年12月31日

関連項目編集