大森 頼実(おおもり よりざね)は、江戸時代後期の旗本寄合)。石高は4500石。

 
大森頼実
時代 江戸時代後期
生誕 文化8年11月15日1811年12月30日
死没 不明
改名 松平信道→大森頼実
別名 松平哲之助→大森刑部→勇三郎
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
氏族 大河内松平氏大森氏
父母 父:松平信明、母:神原氏娘・利和
養父:大森頼章
兄弟 某、松平信順、篤之助、泉吉郎、
本庄道貫松平信厚津軽順承、某、
深井信恭、某、松平忠質内藤忠行
頼実阿部正瞭松平孝、雅、栄、従、錦、厚、睦、庸
養兄弟:
金五郎
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生涯

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文化8年(1811年)11月15日、三河国吉田藩3代藩主・松平信明の十三男として江戸谷中の吉田藩下屋敷で生まれる。文化9年(1812年)4月11日、近江国三上藩主・遠藤胤統の仮養子となる。文化11年(1814年)4月18日、今度は陸奥国黒石藩主・津軽親足の仮養子となる。

文政2年(1819年)12月27日に旗本・大森頼章の養子となる。天保2年(1831年)9月28日に初めて将軍家斉に拝謁する。天保11年(1840年)3月24日に火消役となる。同年12月16日、布衣の着用を許される。天保12年(1841年)6月17日、病により御役御免となる。その後の経歴は不明だが、安政3年(1856年)11月28日に嫡子金五郎が家督を相続している。

参考文献

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  • 『寛政譜以降旗本家百科事典』第1巻
  • 『豊橋市史』第6巻