大沢 基貫(おおさわ もとつら)は、江戸時代前期から中期にかけての高家旗本公家持明院基禎の子。通称は内膳。官位従五位下侍従遠江守

 
大沢基貫
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 延宝6年(1678年
死没 正徳3年4月21日1713年5月15日
別名 通称:内膳
官位 従五位下侍従遠江守
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川綱吉家宣家継
氏族 持明院家庶流大沢氏
父母 父:持明院基禎
兄弟 持明院基輔石野基顕基貫基清(八男)
養子:基清
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略歴 編集

祖父の権大納言持明院基定は高家旗本大沢基宿の次男であったが、大沢家のルーツにあたる持明院家持明院基久親子が大坂の陣で討死してしまい、後継者を失った持明院家を再興するために養子入りした。

兄の持明院基輔が持明院家を継ぎ、別の兄の基顕は石野家を興した。

元禄12年(1699年)閏9月15日江戸に下向し、5代将軍・徳川綱吉御目見した。綱吉はこれを取り立て、基貫は寄合に列し蔵米300俵を賜った。同年11月9日、小姓に準じるとされた。元禄13年(1700年)1月28日、従五位下・侍従・遠江守に叙任し、あらためて武蔵国足立郡内に采地600石を与えられた。後に武蔵多摩郡に移された。宝永6年(1709年)2月21日、高家職に就いた。

正徳3年(1713年)4月21日、死去。享年36。正妻・実子なし。大沢家は弟の基清が養子となって相続した。他に養女1人あり。