大浦 盛信(おおうら もりのぶ)は、戦国時代の武士。新庄信春の次男か。
文亀2年(1502年)、養父・大浦光信の命で、新しく築城された大浦城に入る。大永6年(1526年)に養父が死去すると、大永8年(1528年)には菩提を弔うために西津軽郡に長勝寺を建立している。
子がいなかったため(森岡為治の父?)、甥(光信の実子とも)の政信を養子とし跡継ぎに定めた。