奈良岡 末造(ならおか すえぞう、1913年大正2年)10月31日[1] - 1995年平成7年)12月31日[1])は日本政治家青森県青森市長。

奈良岡末造
ならおか すえぞう
生年月日 1913年10月31日
出生地 日本の旗 日本 青森県青森市
没年月日 (1995-12-31) 1995年12月31日(82歳没)
出身校 青森県立青森商業学校卒業
(現・青森県立青森商業高等学校
前職 青森県信用組合連合会勤務
所属政党 無所属
称号 勲三等瑞宝章

当選回数 4回
在任期間 1967年4月30日 - 1974年1月12日
1974年2月24日 - 1979年4月29日

当選回数 1回

在任期間 1957年 - 1961年

青森市議会議員
当選回数 4回
在任期間 1947年 - 1963年
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来歴

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青森市出身[2]1931年、青森県立青森商業学校(現・青森県立青森商業高等学校)卒[2]。卒業後は生家の米屋を手伝い[3]、その傍ら、青森県信用組合連合会に勤務した[2]1947年青森市議会議員に当選、4期16年務め[2][3]、この間、1957年から4年間議長を務め、東北市議会議長会会長、全国市議会議長会副会長を歴任した[2]1963年青森県議会議員に当選[3]、1期務めた[2]1967年社会党の推薦を受け、青森市長選挙に立候補し、現職の千葉元江を破った[4][5]

1971年青森市長選挙

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1971年4月25日、自民党公認の白鳥大八を破って再選を果たした[6]

※当日有権者数:-人 最終投票率:74.99%(前回比:-4.91pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
奈良岡末造-無所属76,282票62.7%-
白鳥大八-自由民主党45,359票37.3%-

1974年青森市長選挙

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1973年秋に奈良岡の弟が議会議事堂に絡んで収賄容疑で逮捕された[7]。これを受けて、同年12月に辞意を表明し、1974年1月12日に再出馬を表明して市長を辞任した[8]。同年2月24日、自民党公認の三上辰蔵を破って3選を果たした[7]。また、公職選挙法の規定により奈良岡の任期は辞任前の残任期間となった[8]

※当日有権者数:-人 最終投票率:85.27%(前回比:+10.28pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
奈良岡末造-無所属88,397票60.7%-
三上辰蔵-自由民主党57,248票39.3%-

1975年青森市長選挙

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1975年4月27日、社会党、共産党の推薦を受けて、自民党、民社党推薦の工藤正を破って、4選を果たした[9]

※当日有権者数:-人 最終投票率:71.15%(前回比:-14.12pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
奈良岡末造-無所属67,772票55.0%日本社会党日本共産党推薦
工藤正-無所属55,553票45.0%自由民主党・民社党推薦

1979年に退任した。1983年第13回参議院議員通常選挙において青森県選挙区から無所属(革新系)で立候補したが落選した[10]。後に藍綬褒章勲三等瑞宝章を受章した[3]

脚注

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  1. ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ、2012年、923頁。
  2. ^ a b c d e f 『日本の歴代市長』第1巻、197頁。
  3. ^ a b c d 『青森県人名事典』496頁。
  4. ^ 青森市・市長選(青森県):政治データのブログ
  5. ^ 藤本 2020, p. 49.
  6. ^ 藤本 2020, p. 51.
  7. ^ a b 藤本 2020, p. 53.
  8. ^ a b 藤本 2020, p. 54.
  9. ^ 藤本 2020, p. 56.
  10. ^ 『朝日選挙大観』570頁。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ、2012年。
  • 藤本一美「戦後青森県の市長選挙と歴代市長①」『専修大学法学研究所紀要』、専修大学法学研究所、2020年。doi:10.34360/00010867