奥村成象
日本の江戸時代中期~後期の武士。加賀藩人持組奥村忠順(奥村禅正家)の子で、加賀八家奥村分家9代当主。小松城代
奥村 成象(おくむら なりかた、元禄16年(1703年) - 寛延2年3月27日(1749年5月13日))は、加賀藩年寄。加賀八家奥村分家第9代当主。
生涯
編集元禄16年(1703年)、加賀藩人持組1700石奥村忠順の子として生まれる。父忠順は儒学者で室鳩巣の高弟・室門七才の一人であった。成象は父の家督を継いでいたが、延享3年(1746年)に加賀八家奥村分家第7代奥村煕殷の養子となって家督と1万石の知行を相続した。延享5年(1748年)6月、前田修理知久の後任として小松城代に就任する。寛延2年(1749年)3月27日没。享年47。家督は横山貴林の次男隆振が末期養子として相続した。
参考文献
編集- 「藩国官職通考」