好子内親王
伊勢斎宮
好子内親王(こうし(よしこ)ないしんのう、久安4年(1148年)頃 - 建久3年7月3日(1192年8月12日))は、平安時代末期の皇族。伊勢斎宮。後白河天皇の第2皇女で、母は高倉三位藤原成子(大納言藤原季成の女)。同母兄弟に以仁王・守覚法親王・亮子内親王(殷富門院)・式子内親王・休子内親王らがいる。
好子内親王 | |
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続柄 | 後白河天皇第二皇女 |
全名 | 好子(こうし/よしこ) |
身位 | 内親王 |
出生 |
久安4年(1148年)頃 |
死去 |
建久3年7月3日(1192年8月12日) |
父親 | 後白河天皇 |
母親 | 藤原成子 |
役職 | 伊勢斎宮 |
生涯
編集保元3年12月25日(1159年)、異母兄二条天皇の即位に伴い斎宮に卜定され、永暦元年(1160年)9月8日、伊勢に群行(長奉送使は藤原宣房)。永万元年(1165年)6月25日、二条天皇の譲位により在任8年で退下。その帰京は物資の不足により、困窮を極めたという(『顕広王記』)。建久3年(1192年)7月3日、45歳前後で薨去。