内親王
皇族女子の身位または称号
概要 編集
称号:内親王 | |
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敬称 |
内親王殿下 Her Imperial Highness the Princess |
かつての律令制では、天皇の皇女および姉妹を
また古来から、第一皇女を女一宮(おんないちみや)、その順に女二宮、女三宮と称す。
明治時代に入り、皇室典範成案が起草されるにあたり、その第35条にて従来の皇女に留まらず、親王妃にも内親王、王妃を女王と規定する条文の策定が検討された。しかし、有栖川宮熾仁親王が「名分よろしからず」と述べ、これに反対した。内親王は皇女の称であり、王号は皇統から出たものに限るというのがその理由だった。結果、内親王はその身位の成立以来、皇女の称号として存続した[2]。
現在の皇室典範では、天皇の嫡出の皇女および天皇の嫡男系の嫡出の皇孫で女子であるもの(6条)、また、天皇の姉妹(7条)を内親王という。天皇・皇太子の娘である場合、さらに「○宮」の御称号が与えられる。
内親王・女王が皇族以外の臣下に嫁すことを降嫁といい、結婚に際し皇族の身分を失う。また、古語では内親王を母として生まれること、または生まれた子を「皇女腹」(みこばら)といった[3]。
現在の内親王 編集
現在、合計2人がその身位にある。
読み | 生年月日 | 現年齢 | 今上天皇から 見た続柄 |
世数[4] | 御称号 | ||
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愛子内親王 | あいこ | 2001年(平成13年)12月1日 | 21歳 | 第一皇女子 | 一世 | 敬宮(としのみや) | |
佳子内親王 | かこ | 1994年(平成6年)12月29日 | 28歳 | 皇姪 / 秋篠宮文仁親王第二女子 | 二世 |
内親王一覧 編集
近代以前 編集
江戸時代 編集
名 | 読み | 続柄 | 備考 | 生没年 |
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昭子 | あきこ | 後水尾天皇第四皇女 | 生涯独身 | 1629-1675 |
秋子 | あきこ | 東山天皇第一皇女 | 伏見宮貞建親王の妃 | 1700-1756 |
興子 | おきこ | 後水尾天皇の第二皇女 | 明正天皇 | 1624-1696 |
近代以降 編集
大日本帝国憲法下では「皇籍離脱」ではなく「臣籍降下」と言っていた。
名 | 読み | 続柄 | 備考 | 生没年 |
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薫子 | しげこ | 明治天皇第2皇女 | (夭折) | 1875-1876 |
韶子 | あきこ | 明治天皇第3皇女 | (夭折) | 1881-1883 |
章子 | ふみこ | 明治天皇第4皇女 | (夭折) | 1883 |
静子 | しずこ | 明治天皇第5皇女 | (夭折) | 1886-1887 |
昌子 | まさこ | 明治天皇第6皇女 | 竹田宮恒久王と婚姻 | 1888-1940 |
房子 | ふさこ | 明治天皇第7皇女 | 北白川宮成久王と婚姻 | 1890-1974 |
允子 | のぶこ | 明治天皇第8皇女 | 朝香宮鳩彦王と婚姻 | 1891-1933 |
聡子 | としこ | 明治天皇第9皇女 | 東久邇宮稔彦王と婚姻 | 1896-1978 |
多喜子 | たきこ | 明治天皇第10皇女 | (夭折) | 1897-1899 |
成子 | しげこ | 昭和天皇第1皇女 | 盛厚王と婚姻 | 1925-1961 |
祐子 | さちこ | 昭和天皇第2皇女 | (夭折) | 1927-1928 |
和子 | かずこ | 昭和天皇第3皇女 | 鷹司平通に降嫁 | 1929-1989 |
厚子 | あつこ | 昭和天皇第4皇女 | 池田隆政に降嫁 | 1931- |
貴子 | たかこ | 昭和天皇第5皇女 | 島津久永に降嫁 | 1939- |
甯子 | やすこ | 三笠宮崇仁親王第1女子 | 近衞忠煇に降嫁 | 1944- |
容子 | まさこ | 三笠宮崇仁親王第2女子 | 千宗室 (16代)に降嫁 | 1951- |
清子 | さやこ | 上皇第1皇女子 | 黒田慶樹に降嫁 | 1969- |
眞子 | まこ | 秋篠宮文仁親王第1女子 | 小室圭に降嫁 | 1991- |
脚注 編集
参照文献 編集
- 鈴木正幸著『皇室制度』(岩波書店、2005年) ISBN 4004302897
- 新村出編『広辞苑 第六版』(岩波書店、2011年)ISBN 400080121X
- 松村明編『大辞林 第三版』(三省堂、2006年)ISBN 4385139059