姫塚古墳 (飯田市)

長野県飯田市の古墳

姫塚古墳(ひめづかこふん)は、長野県飯田市松尾上溝(まつおあげみぞ)にある古墳。形状は前方後円墳飯田古墳群(うち松尾単位群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。

姫塚古墳

後円部墳丘
所属 飯田古墳群(松尾単位群)
上溝古墳群
所在地 長野県飯田市松尾上溝3366-1ほか
位置 北緯35度30分11.80秒 東経137度50分48.18秒 / 北緯35.5032778度 東経137.8467167度 / 35.5032778; 137.8467167座標: 北緯35度30分11.80秒 東経137度50分48.18秒 / 北緯35.5032778度 東経137.8467167度 / 35.5032778; 137.8467167
形状 前方後円墳
規模 墳丘長40m(推定復元50m以上)
高さ5.4m(後円部)
埋葬施設 片袖式横穴式石室
出土品 七鈴鏡・須恵器
築造時期 6世紀前半
史跡 国の史跡「飯田古墳群」に包含
地図
姫塚古墳の位置(長野県内)
姫塚古墳
姫塚古墳
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概要 編集

長野県南部、天竜川支流の松川南岸の舌状段丘北端部(標高422メートル)に築造された古墳である。現在までに宅地・田地利用によって墳丘裾部は削平されているほか、墳丘上には祠が祀られる。これまでに石室実測調査が実施されているが、発掘調査は実施されていない。

墳形は前方後円形で、前方部を南西方向に向ける。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。墳丘外表からは須恵器片が出土している[1]。また墳丘周囲には幅7.5メートルの周溝(盾形か)が巡らされる[1]。石室全長4.2メートル以上を測る小型の石室であるが、石室内面には赤色顔料の塗布が顕著に認められる。石室内の副葬品は詳らかでないが、江戸時代に前方部から七鈴鏡が出土したという。築造時期は古墳時代後期の6世紀前半[2](または6世紀初頭[3])頃と推定される。

古墳域は2016年平成28年)に国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。

遺跡歴 編集

墳丘 編集

墳丘の規模は次の通り[3]

  • 墳丘長:40メートル(推定復元50メートル以上[1]
  • 後円部
    • 直径:23.6メートル
    • 高さ:5.4メートル
  • 前方部
    • 幅:23.6メートル
    • 高さ:5.2メートル

埋葬施設 編集

 
石室パース図
 
石室展開図

埋葬施設としては後円部において片袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[3]

  • 石室全長:4.2メートル以上
  • 玄室:長さ2.9メートル、幅1.8メートル、高さ1.4メートル
  • 羨道:長さ1.3メートル以上、幅1.1メートル、高さ1.2メートル

石室の石材は川原石。石室内面には赤色顔料の塗布が認められる。現在は羨道上部に祠参道の石橋が架けられ、羨道開口部周辺は後世に改変されている。

脚注 編集

参考文献 編集

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(飯田市教育委員会、2017年設置)
  • 姫塚古墳」『飯田における古墳の出現と展開 -資料編-』飯田市教育委員会、2007年http://sitereports.nabunken.go.jp/9271  - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
  • 「姫塚古墳の調査」『飯田古墳群 範囲確認調査報告書 -令和元~3年度-』飯田市教育委員会、2023年。 

関連文献 編集

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 白石太一郎「伊那谷の横穴式石室(一)」『信濃』第40巻第7号、信濃史学会、1988年7月、669-687頁。 

外部リンク 編集