孫 牧人(ソン・モギン、朝鮮語: 손목인1913年4月13日 - 1999年1月9日)は、大韓民国の作曲家

孫 牧人
出生名 孫 得烈
別名 久我山 明
生誕 1913年4月13日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮慶尚南道晋州市
死没 (1999-01-09) 1999年1月9日(85歳没)
日本の旗 日本東京都
ジャンル トロット
職業 作曲家
活動期間 1934年 - 1999年

本名は孫 得烈(ソン・ドゥンニョル、손득렬)。日本では、久我山 明の名で活動した。

人物

編集

1913年、日本統治時代の朝鮮慶尚南道晋州で漢方医の家に生まれる。

1934年、東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部の前身)ピアノ科在学中にアルバイト先であったOKレコード社長・李哲の誘いで「他郷暮らし」の作曲を手掛け、デビューした。続く2作目の「木浦の涙」ともに朝鮮民衆の心を捉えヒットした。以降、多くのヒット曲の作曲に携わった。

1950年代から60年代にかけて、当時住んでいた東京久我山から、久我山明の名で日本で作曲活動を行っていた。

1964年に韓国音楽著作権協会初代会長を、1989年に韓国歌謡作家協会初代会長をそれぞれ務めた。

1999年、東京滞在中に死亡した。

2008年、韓国の民間団体民族問題研究所は、戦時中に軍国歌謡を作ったとして、孫を親日派人名名簿に記載した[1]

代表作品

編集

脚注

編集
  1. ^ "政治利用された「親日派」叩き 国民的作曲家・歌手も標的に"、産経ニュース 2016年6月11日(2021年4月18日閲覧)