宇喜多 秀邑(うきた ひでさと)は、江戸時代後期の人物。宇喜多秀美の嫡男。

 
宇喜多秀邑
時代 江戸時代 後期
生誕 寛政7年7月30日1795年7月30日
死没 天保15年6月2日1844年7月16日
別名 通称:孫助、孫九郎
戒名 覚正院受誉常念居士
氏族 宇喜多氏
父母 父:宇喜多秀美、母:ヤス(宇喜多秀徳の娘)
養父:宇喜多秀徳
兄弟 弥助、孫四郎、宇喜多秀監、出来蔵、留次郎、アツバ、タカ、シム
マユ奥山百助の娘)、ヱソ奥山伝次郎の娘)
イワ、タカリ、マツ
養子:秀種
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生涯 編集

寛政7年(1795年)、八丈島に配流された大名・宇喜多氏の嫡家(宇喜多孫九郎家)の嫡男として生まれる。

文政3年(1820年)、父秀美の隠居により家督を継ぐ。

八丈島在住の宇喜多一族の系譜がないことを嘆き、旧記を調べ、本家の系譜は整理するも、分流までは整理に至らず。

天保15年(1844年)6月2日死去。後継男子はなく、急遽、浮田半六家当主浮田継朔の次男・継種が養子となり、秀種と改名し家督を継ぐ。

参考文献 編集