宇治川 嘉左衛門(うじがわ かざえもん、1844年4月14日天保15年2月27日) - 1902年明治35年)5月15日)は、江戸時代から明治期の日本の政治家、農民。京都府与謝郡日ケ谷村の初代村長を務めた。 父親は宮津藩家臣の宇治川武兵衛。 長男に宇治川真一郎がいる。

生涯 編集

生い立ち 編集

宮津藩が治める丹後国与謝郡日ケ谷村(現・宮津市)厚垣の豪農の家に長男として生まれる。父は宇治川武兵衛、母はうえであった。父の武兵衛は宮津藩主の松平宗秀に重用され、苗字を許されていた。

宮津藩家臣時代 編集

嘉左衛門は宗秀の嫡男の松平宗武に仕えた。1866年慶応2年)に宗武が家督を相続したが、長州藩薩摩藩などによる倒幕運動により、2年後に明治維新を迎えた。

1869年7月27日(明治2年6月19日)、松平宗武は版籍奉還により宮津藩知事に任じられる。1871年8月30日(明治4年7月15日)の廃藩置県で宗武は知藩事職を免職された。その後宗武は北海道に渡り開拓使での任務に就くが、嘉左衛門は宗武に同行せず丹後に残った。

この時期に嘉左衛門は結婚した。1874年(明治7年)12月7日には長男の真一郎が生まれている。

村長就任後 編集

1889年(明治22年)町村制による日ケ谷村が発足し、嘉左衛門は学問に長けていたことから6月6日に村長に抜擢される。1891年(明治24年)1月23日、村長を辞任。

1902年(明治35年)5月15日に死去。享年59(満58歳没)。家督は長男の真一郎が継いだ。

墓は京都府与謝郡四辻の高山墓地にある。