宍戸 親朝(ししど なりとも、安永元年(1772年) - 天保2年8月24日1831年9月29日))は、長州藩毛利家家臣。宍戸家第22代当主。

父は宍戸就年。母は矢野紀以の養女(星坂正為の娘)。妹は福原房純室。正室は右田毛利就任の養女(梅園実縄の娘)。養子に宍戸元礼幼名は千代松。通称は少輔次郎、主計、筑前。初名は延賢(のぶかた)。

生涯 編集

安永元年(1772年)、一門宍戸就年の長男として生まれる。家督相続時に藩主毛利治親より偏諱を授与されて親朝と改名し、続く斉房斉熙の2代の藩主に加判役(家老)として仕えた。文化8年(1811年)、藩主斉熙の江戸城登城の供をして将軍徳川家斉に拝謁する。文政元年(1818年)、父の隠居により家督相続する。文政3年(1820年)5月、長州藩が幕府より、前年6月の大地震で被災した伊勢美濃の被災地の修繕普請助役を命じられ普請奉行を勤める。12月その功を幕府より賞され白銀を賜る。天保2年(1831年)8月24日没。享年60。家督は甥の延良(元礼)が相続した。

参考文献 編集

  • 石川卓美著「防長歴史用語辞典」