宥範

鎌倉時代から南北朝時代にかけて真言宗の僧

宥範(ゆうはん/ゆうばん、文永7年(1270年)- 観応3年/正平7年7月1日1352年8月11日))は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて真言宗[1]。号は大弐房[2]。法名は宥鑁とも書く[1][2]

経歴・人物

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讃岐国那珂郡櫛梨荘の人物[1]。若くして善通寺で受戒し、浄土教を学ぶ[1]。その後、讃岐の無量寿院覚道下野鶏足寺頼尊らに学ぶ[2]。次いで下野衣寺の宥祥に『大日経疏』を学び、その講伝を記録した『見聞問答』を著す[1]。宥祥の勧めにより、山科安祥寺光誉より安祥流を学び宥範方を開く[1]元徳3年/元弘元年(1331年)、善通寺に帰住・修造し、同寺中興の祖と呼ばれる[1][2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『宥範』 - コトバンク
  2. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『宥範』 - コトバンク